東京高等裁判所 昭和35年(ネ)2208号 判決
(一) 証拠を総合するときは前記訴外浅野栄一は昭和二十七年三月二十二日(前記差押前)被控訴銀行と手形貸付、同割引等の金融取引を開始するに当り、取引約定書(乙第一号証)を差入れ、「同訴外人の被控訴銀行に対する手形貸付債務につき同訴外人が他より差押を受ける等不履行のおそれがあると認められるときは、すべて期限が到来したものとみなされても異議なく直ちに債務額を弁済する。」旨及び、「同訴外人の被控訴銀行に対する預金その他の債権は弁済期の如何にかかわらず何時でも任意に同訴外人の負担する債務と相殺せられても異議なき」旨即ち両当事者間に生じた相対立する債権債務につき将来一定の条件が発生した場合右双方の債権債務の弁済期如何を問わず、被控訴銀行の相殺予約完結の意思表示により対当額で相殺し得る趣旨のいわゆる相殺の予約を締結してあつたこと、被控訴銀行は前示滞納処分による差押のあつたことから、右約旨にもとずく予約完結の意思表示として前示相殺の意思表示に及んだものであることが認められる。
ところで民法に定める単独行為たる相殺にあつては相殺の意思表示当時は相対立する債権債務について相殺適状にあること、少くとも自働債務については既に弁済期の到来していることを要件とすること勿論なるも、(受働債権についてはその債務者が期限の利益を抛棄し得る限りにおいてはこの期限の利益を抛棄して相殺することもできる)いわゆる当事者の合意にもとずく相殺契約にあつては契約自由の原則上叙上民法の定める相殺の要件と異なる定めをなし得べく、前示認定の相殺の予約における約定の如きもその有効であることは勿論である。
(二) ただ本件の如く相殺の予約が国税滞納処分による差押前に締結してあつても、その差押後において予約完結の意思表示がなされた場合右予約にもとずく相殺を以て差押債権者に対抗し得るかについて考えてみるに、国が国税徴収のため納税人の第三債務者に対する債権を差押えた場合においても、国は差押によつて被差押債権の取立権を取得し、納税人に代つて債権者の立場に立ちその権利を行使し得るだけであつて、差押当時における当該被差押債権者のそれと異なるものでなく換言すればもともと前示相殺予約の附着した債権を差押えたに過ぎないのであるから、被差押債権の債務者は右予約完結権の行使として差押前に取得した反対債権(右予約の趣旨にもとずきその弁済期が差押後に到来すると否とを問わず相殺をなし得る債権)を以て差押後においても被差押債権と相殺をすることができるものと解すべきである。
(鈴木 坂本 中村)